■ 六地蔵の建立(生誕)は、宝永4年(1707年)9月24日(旧暦)で、今年2007年は正に生誕300年を迎えます。当時の小金井村の村人46人が、「為二世安楽」を願って建立したと記録は残っています(二世とは:現在と未来)。なぜ後生の人々の安楽を念願して、六道の辻に建立したのでしょうか?当時の歴史に光りを当ててみると実に驚くべき自然災害が次々と発生し、当時の江戸の人々が甚大な被害を被り困窮したことが分かります。すなわち1703年11月には『元禄大地震M8.2』が発生し、4年後の1707年10月には再び、わが国最大級といわれる『宝永大地震M8.4』と『富士山大噴火』が次々と発生しています。(
参照資料「小金井村 小史」)
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1707年六地蔵尊からのメッセージは、後生にどんな思いを伝えたかったのか
1703年当時の小金井村の人びとの暮らしぶりから想像してみると、1703年の『元禄大地震』によって当時、かや葺き農家の多くは倒壊し死傷者も出たことが容易に想像されます。やがて、大災害から生き残った村人たち46人は、地震で犠牲となった村人の霊を慰めるとともに、後生の人びとが再びこのような災害を受けることのないようにと、六道の辻に六地蔵を建立し、切に安寧を祈願したものと想像できます。
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建立2ヶ月後に、富士山大噴火による火山灰を5cm被った六地蔵尊
しかしながら、その村人の願いもつかの間のこと、六地蔵を建立した9月24日から僅か10日目の10月4日に再び『宝永大地震』が発生し、その影響で49日後の11月23日には『富士山』が大噴火(史上3度目)、宝永火口直径1300mが生じた。
地震研究専門家によれば、当時の強い西風の影響により、100km離れた江戸一帯にも大量の火山灰(スコリア)が降り、川崎で10cm、東京で5cm降灰、農作物は大きな被害を受け近郊では食物に困り相当の餓死者がでた様子が判明しています。
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享保の改革(将軍吉宗)の一環として、武蔵野新田開発始まる
大災害の年から5年後の1722年(享保7年)以降、武蔵野の原野に玉川上水から多くの分水が開墾され、武蔵野の畠地へも水が供給されて農業生産に貢献しました。当時開墾された関野新田、梶野新田、貫井新田などは今日の小金井市の原点となっています。
・「新田開発年表」については、こちら→ http://library.kodaira.ed.jp/local
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2007年小金井市民から後生へメッセージを
富士山の大噴火によって、村人たちと同様に多量の火山灰(スコリア)を被った六
道の辻の六地蔵さん、あなたは、あれから300年間(明治→大正→昭和→平成)にわたり、幾多の災害を経験しながら今も変わらず六道の辻から小金井市民を見守っています。悲惨な被災体験から村人が六地蔵さんに託した暖かいメッセージを語り継いでいくために、歴史性豊かでドラマのある貴重な文化財として保存し、六地蔵尊の生誕300年を記念して、私たち小金井市民も未来100年〜300年を展望し、後生の市民へ心からメッセージを伝えよう。
記:NPO法人シニアSOHO小金井「六地蔵生誕300年記念」プロジェクト
プロジェクトリーダー 東 康七(中小企業診断士)